Daniel dos Santos petit

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼きダニエル・ドス・サントスは家業の大工の後継者として目されていた。
料理をしながら歌う母親の、キッチンから聞こえるサウダーデ歌は彼女の夢であり、彼はまたその歌手の夢の後継者でもあった。
サウダーデとは彼が夏を過ごした田舎の民謡(母国ポルトガルの郷愁歌/ブルースの類)で、これらの歌と最初に出逢ったのは、カサリア(ポルトガル中央奥地に位置する小村)と彼のいとこたちの村をつなぐ小道を行き来する間のことである。
それから間もなく、13歳の時に、アコースティックギターをバックに歌うフランスの最も有名な国民的ロック歌手:ジョニー・アリディをラジオで聞き、本物の衝撃を受ける。
16歳の時、彼は、当時彼がミュージシャンになることには反対していた両親から初めての6弦ギターをもらう。

ダニエルは舞台巡業で初めてミュージシャンらしき経験をするのだが、しかし、彼がそれを本当に実感したのは1985年8月、フランス南部のジプシーたちの 集う場所にほど近いエーグ・モルトで行われたアマチュア・コンテストで、シンガー・ソング・ライターとして優勝したときである。

兵役後、彼は板張りのステージにカンナをかけることよりもむしろ飛び乗ることをますます決意する。
彼の最初のオーディションは1988年10月に音楽ホール≪ラ・ルイジアン/ルイジアナ≫で行われ、そこで、北米音楽シーンに傾倒していることを考慮した芸名が友人ファンらによってつけられた。
その時から彼は≪ダン・インガー≫(明らかにダン・シンガー(歌手ダン)からきている!)と呼ばれるようになる。
そこでは、演奏の合間の休憩中に流れる有名なジャズやブルースが彼の耳に届き・・・

1989年のある夜、30年代パリジャン・スウィングの伝説的な場所≪ラ・ロズレ≫をシャンピニーのマルネ河岸に再開したばかりの、60年代当時は十代で あったロック歌手ムスティーク/モスキート(小柄ながら古き時代のロックンロールシーンに旋風を巻き起こした)に、彼はダン・インガーとして紹介される。
(シャンピニーはまさに、1967年7月3日ダニエルが生まれた街である。)
以来ダンは、ツアーではプロのミュージシャンたち、時に彼の≪アイドル≫であるミュージシャンたちと活動を共にするようになる。Nagan Ohara

 

 

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